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チベットBY闇バス
長時間の電車移動を終え朝10時ごろにゴルムー駅に着き、ガイドブックに書いてある安宿目指して歩き始めた。この日はゴルムーで一泊して、明日チベットの聖都ラサを目指すつもりだった。歩き始めてすぐ「ラサ、ラサ」と一人の男が近づいてきた。どうやらラサ行きのバスの客引きのようだ。僕はその男について行くことにした。まず値段交渉をして、高ければ予定通りここで一泊してまた違うバスを探せばいいし。
実はチベット自治区に行くためには、パーミット(入境許可書)というものが必要になる。これは単体では習得できなくてチベットに行くにはツアーのようなものを組まなければいけない。そのため外国人は地元民が利用するローカルバスには乗れないようになっている。
ツアーを組む場合多くの人が利用する成都からの空路なら安くて1,900元(約28000円)くらい。ちなみにツアーといっても片道ラサまでの移動費(1時間ほど)とパーミット代でこの値段。ゴルムーから陸路のツアーもあるようだが1500元くらいはすると思う。
高すぎる。ローカルのバスだとゴルムーから一人300元ほどでラサまで行くことが出来るのにもかかわわらず、外国人はこの多額の費用を払わなければチベットに行けないようになっている。外国人から多くの金を落とさせようとする中国政府の悪どいやり方だ。そこで旅行者の中には(特に日本人)は中国人になりすましてバスに乗り込んだり、何人かでタクシーをチャーターしてラサを目指す人が多い。チベット自治区に入る手前、いくつか不法入境者をチェックする検問所があるらしいが、ここで外国人として見つかるとまたバスごとゴルムーまで戻らなければいけない決まりのようだが、実際賄賂を数百元払えばすんなり通してくれるらしい。僕ももちろんそんな高い金払いたくないしそのローカルバス(通称、闇バス)にでチベット入りするつもりでここに来たというわけ。
 客引きのおっちゃんははじめ「1000元だ!!!」とかなり吹っかけてきが、粘り強く交渉した結果500元まで落ちたのでその値段で乗ることにした。 300元と言うのは地元民価格でなかなか外国人をみなと同じ値段では乗せてくれない。運転手たちも外国人を乗せているのを公安(警察)に見つかると面倒なので、見つからないように色々工夫するらしい。その手間賃が上乗せされると言うわけ(と思う)。バス側としてもいい商売だ。聞いた話では500~700元が相場のようなので、かなりいい線いっている。
 すぐにはバスが出ると言っておきながらバスの乗客をいっぱいにするため結局昼の1時ごろまで待たされて、やっと出発。バスの中にには僕のほかにアメリカ人の男が一人。こいつはどうやって検問をすり抜けるつもりだろう少々疑問に思ったが、まあなんとかなるのだろう。足手まといだけはやめてほしい。
 バスが出て30分位したところで、バスを路肩に止め、運転手のチベタンのおっちゃんが僕らのところにやって来た。彼は「もうすぐ検問があるから隠れろ」と言って寝台バスの床板を抜き始めた。なんと床板の下に人がぎりぎり潜りこめる位の狭い空間があった。床の上にはカーペットのようなものを引いていたのでこれじゃあ気づきようがない。僕ら外国人二人は床下に毛布を敷き潜り込んだ。床下は暑いし空気も埃っぽい。居心地は当たり前だが悪い。僕の足の後方にアメリカ人のがいるので、彼は僕の足の臭さもあわせてさらにつらいことだろうと思う。バスが止まり上から聞こえる足音で検問所に着いたことを察した。どのように公安が乗客を調べるか知らないが、隠れるときおっちゃんがせかすもんだから僕は上に荷物を置きっぱなしにしてきてしまったのでそれでばれないか心配になった。バスがまた走り出した。なんとか一つ目の検問は無事通過のようだ。まだ1,2個検問があるらしいからあとどれくらいこの中にいるのだろうと少し不安に思っていたのだけど、いつのまにか寝てしまっていた。
 運転手のおっちゃんに起こされて、床下から脱出する。寝ていたので体中は汗まみれで埃まみれ。おっちゃんは無事に検問を通過できたのでかなり嬉しそうだった。僕らに笑顔で「サンキュー、サンキュ-」と何度もいってきた。僕も無事通過できてほっとしていたが、おっちゃんの笑顔を見てさらに嬉しく思った。僕たちは握手を交わした。窓の外を見ると景色がまったく違っていた。大きく広がる青空に、回りはごつごつした木が生えていない山。その山々の間を一本アスファルトの道が通っている。今までに見たことの無い景色を見てとうとうチベットに来たんだという実感がわいてくる。バスはひたすら走り続ける。遠くには頭が雪に覆われた山も見える。
そんな景色への感動も疲れで長く続かなかったので、とりあえず寝ることにした。しかしなかなか深く眠れない。寝に入ってもすぐ起きてしまう。そのうち道も未舗装道路になって揺れが激しくよけい眠れない。しかもありえないくらい揺れる。日が暮れて(ここは遠く離れた北京時間を使わなくてはいけないから日が暮れるのは9時くらい)やっと眠りにつくことができた。それでも激しい揺れに何度も起こされる。しかもなんか寒いと思ったら窓が壊れていてバスが揺れるたびに少しずつ開いていくので、そこから入ってくる隙間風が冷たい。もちろんこの道もへいきん4000mくらいの高さを走ってるから外の気温はかなり低い思う。幸い寝台バスは僕の席はぎゅうぎゅう詰だったから毛布と隣のおじさんの体温でかなり暖かかった。
途中5000m越えの峠を越えたあたりで少し吐き気と頭痛。夏にスェーデン走った後並みの吐き気。今まで高山病と無縁だった僕の体もこの強行移動にかなりまいってるらしい。チベット入境早くも後悔。1時間くらいの死闘のすえ高山病にも打ち勝ったがそれでほとんどの体力を消耗し 残りのラサまでの時間も終始グロッキー状態。15時間くらいと聞いていたがまったく着く気配がない。いくつか町を通り過ぎ、その度にラサ到着の期待は裏切られ。メンタルはボロボロ。結局翌日朝の10時ころに聖都ラサ到着。20時間のバス旅だった。雨季で道が悪く時間もかかったみたいだ。始めて見る聖都ラサは思ったより大都会。もちろん前から聞いてはいたけど。まあとりあえず無事ラサ到着できたことによしとする。
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by kazuki-ishihara | 2005-08-14 11:58 | 中国~チベット
別れ、一人電車の中で
ナタリー、チャリーが上海に発つのを見送り、一人電車に乗り込み格尔木(ゴルムー)に向かう。成都からチベットへの入り口となる青海省のゴルムーまでは3日と聞かされただけだ。何時間か聞いたところで心境的にはそんなに変わらないだろう。中国に来てはじめての電車移動。しかも初めての一人での移動。もちろん不安はある。な何せいままでは中国語堪能なナタリーのおかげで、英語の分かる人が少ない中国で(一般人レベルで話せるのは外国人がよく利用するホテルの従業員か英語を勉強している大学生くらい。僕はそんな感じを受けた。)ほとんど言葉の壁には苦労していない。そのナタリーにおんぶにだっこだった僕とチャリーは全くと言っていいほど中国語を話せるようになっていない。数字と簡単な文法(2つだけ)、数えられる程度の単語(5個くらい)。1ヵ月半もいたのにこの有様。さすがにこれでは中国の旅はきついことは予想がつく。いまさら後悔しても遅いので、英語の勉強に熱心だった僕は中国語を勉強する暇が無かったということにしたい。
 僕の席は三段寝台ベットの一番上。一番下が値段が高く、一番上が一番安い。出発時間間際に列車に乗り込んだので、すでに荷物置き場はいっぱい。どこに荷物を置こうか迷っていた僕を見て、若く僕より少し年上に見える中国人男性二人が荷物を置くところを探し、人の荷物の上ではあるが置き場所を見つけてくれた。中国語でなにやら話しかけてはくるが、まったく理解できない。かろうじて「どこに行くんだ。」という質問は理解でき、「ゴルムー」と答える。彼らにはご飯を貰ったりいろいろと親切にしてもらったが、何せ会話が出来ないのでほとんどの時間は本を読んだりボーとナタリー、チャーリーと旅した中国の日々を思い出していた。
 思えばラオスで出会ってからこの日まで1ヵ月半以上も共に旅したことになる。僕は一人チベットに向かう。彼らは上海に。初めからわかっていたことだけどさすが別れは辛い。この旅一番の辛い別れだった。別れ際、この後のお互いの旅の健康を祈るような言葉を交わし抱き合った。普段は強気で弱いところをあまり見せず、別れ間近になっても寂しそうなそぶりを見せなかったナタリーが目いっぱいの涙をためていた。それを見て僕も涙があふれそうになったが、自然に我慢していた。二人を見送った後、自然涙がこぼれた。
 お互い観光地をがんがん回るようなタイプではなかったので、街を軽く歩いたあり宿でのんびりするしたりすることがほとんどだった気がするけど、退屈することは無かった。沢山話もした。彼らは僕の知らないことを沢山知っていたし、僕も日本の話や、話題に対する自分の意見なんかを辞書引きながら一生懸命話した。初めの頃はどんなだったか忘れてしまったけど、二人とも(特ににナタリーは)僕がわからない単語は丁寧に辞書を引いて教えてくれたので、別れ間際にはコミニケーションもある程度スムーズに取れるようになった。些細な口げんかが出来るくらいにはなった。(これはしゃべれるしゃべれないの問題じゃないか。)
 それにみんな食べることが好きだったので、いろんな料理も食べにいった。ナタリーはベジタリアンなので、中国料理を食べるときは僕らも野菜だけのものを食べたのだけど、(中国はみんなでおかずを分け合って食べるのが普通)二人と一緒に食事するまではこんなに野菜が美味いとは知らなかった。っていうか忘れていたのか。それからはバスの移動のときはフルーツや野菜を買い込んで、バスの中で三人むしゃむしゃ生野菜を食べたりしていた。大理で山でカンフーを習っていたときは、腹が減っては野菜をぼりぼり食べていた。それにインド料理や日本料理、テキサス料理など今までは安いものばかり食べてたから(もちろん安くて美味いものはいっぱいある)、今まで食べたこと無いものを沢山食べれて新しい食の発見も沢山あった。
 今考えると、二人と過ごした1月半は長いようでよく考えれば短いものだ。しかしいつの間にかずっと前から一緒に旅しているように感じていた。そんなふうに自然に感じられる相手にめぐり合うのはそう多くあることではないと思う。いい出会いをしたものだと思う。二人にはまた会いたいし、長くいい関係を続けていきたい。
 二夜を車内で過ごし三日目の朝に成都で買っておいたきゅうりとトマトをこれまた成都で運良く見つけたキューピーマヨネーズをつけながら食べていると、おばちゃんが珍しそうにこちらを見ている。長時間の列車移動では中国人の間ではカップラーメン持参が普通だ。この電車の中で、生野菜をぼりぼりかじっているのは僕ぐらいだろう。
朝飯を食べ終わり、本を読んでいると、周りがざわつき始めた。とうとう憧れのチベットの入り口となるゴルムーに来た。 成都から51時間の長旅だった。

 
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by kazuki-ishihara | 2005-08-12 22:30 | 中国~チベット
チベタン
リタンでは毎日ホースフェスティバルの会場に足を運んだ。雨が降る日も多かったく、祭り自体を見物したにのは初日ぐらいのものだが、会場となっている草原をぶらつけば色とりどりに着飾ったチベタンが見れたし、いい出会いも沢山あった。
 シャングリラでチベット族による評馬会(ホースフェスティバル)が近々行われると聞いて、それはぜひ見たいとチベット族が多く暮らしているここリタンの町にやってきた。祭りの時期ということでこの小さな町にも多くの旅行者が訪れ、町にある数少ないホテルは満室のところが多く宿探しも一苦労だった。しかもフェスティバル価格で宿代も高い。僕ら三人とチャリーが大理のバーでバイトしていたときのバイト仲間のスタンとパッド五人で四人部屋に泊まる事にしてさらに4日分の部屋代を前払いすることで、やっと今までの町と同じくらいの宿泊費で泊まることが出来た。
 フェスティバル初日の朝、会場となる草原に向かうとすでに祭り用に着飾った大勢のチベタンと旅行者の姿。さらに草原全体に沢山のテントが建てられている。この祭りの時期だけは町に住んでいるチベタンもこの草原でテント暮らしをするようだ。開会式のようなものが初めに行われ、少し時間をおいてから競馬が始まった。競馬といっても、競争するという感じではなく自分の腕をみんなに披露するという趣向のようなもので、頭を地面すれすれにまで体を傾けながら馬を走らせたり、猟銃を的にめがけて撃ったりというようなものが多かった。チベタンの男は髪が皆長く、馬に乗るその姿は本当に勇ましくかっこよかった。それが終わると、チベタンの踊りがあったりというような流れで午前は終了。午後も同じように競馬と踊りで終了した。
 その日競馬を人ごみにまみれて見ているとき僕らは一人の女の子に出会った。どういうきっかけで話したかは忘れてしまたが、ナタリーはその子と少し言葉を交わしてその女の子の写真を撮った。その子はその写真が欲しいといったが、僕らはその町にデジカメを現像できるところがあるか分からなかったので、その場は「出来るかもしれないし、出来ないかもしれない」とあいまいな返事をして、僕らは分かれた。その後その草原にカメラ屋が出店しているのを知り(すごいいいサービスだと僕らは感動した)、僕らはもしまた女の子と逢えればここに連れてこようという話しをした。その数日後運良く女の子見つけることが出来たので、女の子と一緒にいたお母さんをカメラに連れて行き写真をプレゼントすると、二人は僕らを自分達が住んでいるテントに招きいれてくれ、チベタンのお茶「バター茶」をご馳走してくれた。ヤクという牛のようなヤギのような動物の乳から作るバターと、塩とお茶葉で作るお茶は高山病にいいらしい。しかしお茶がしょっぱいのは受け入れがたく正直あまりおいしくなかった。部屋には家族のほかに親戚達も入ってきてお互いの国での生活のことなどを話した。チベタンも今は中国語を話せる人が多く(必ず覚えないといけないらしい)、ナタリーを通してコミニケーションも簡単に取れることが出来た。チベット族のように漢民族以外の人たちは子供は何人作ってもよく、この家族も子供は2人。親戚の子供も遊びに来るので、家族はいつもにぎやかだった。僕らは彼らのテント野中にインドに亡命中のダライラマ14世の写真が飾られているのを見とつけた。中国ではダライラマ14世を信仰すること、写真を持つことすら禁止されているが、彼らのダライラマ14世に対する信仰は厚く、中国政府なんか怖くないと語っていた。
 僕らは前からこの草原でチベタンの人たちと同じようにキャンピングをしたいと思っていたので、次の日からこの家族のテントの隣に僕らもチャーリーが持ってきているテントを張って生活することにした。「ご飯が無いときはいつでもおいで」と言ってくれたり、みんな本当に親切にしてくれ、遠慮なくその日の夜ははご飯をご馳走になった。いつも食堂で食べるのと違って、ひさしぶりb食べた家庭の味はすごくおいしかった。
 その日テントで一泊したわけだけど、4000mの高地ともなれば夏とはいえ朝夜はかなり冷え、さらに雨も降っていたので凍える夜を過ごすことになった。この気候に慣れていない僕らはあまりの寒さに結局1泊できず次の日にはテントをたたんでまたホテルに戻ることにした。さらにその次の日にはVISAの残り時間もあまり無いことからその町を出ることにしたので、この家族との付き合いもほんの少しの時間でしかなかったが、みんなの優しさや笑顔に触れとても幸せな気持ちにしてもらった。この家族以外のチベタンも町を歩いていると「ハロー」と笑顔で声をかけてくれる人が多く、フレンドリーで笑顔の素敵な人が多かった。この町での出会いがチベットへの行くことをさらに楽しみにしてくれた。
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by kazuki-ishihara | 2005-08-06 21:19 | 中国~チベット