チキンパーティー!?
試合当日の昼下がり、ポカラの中心地というか商店街のようなバザールに出かける。実は昨日もここへネパール代表のユニを買うためチャリをこいで出てきたのだけど、ネパールの休日にあたる土曜日だったため、多くの店が休みで結局見つからず。もう一度今日出直すことにした。祥栄とチベットのラサでは初めて会いネパールでまた再会した台湾人のココと三人で、チャリで行く気にはなれなかったのでバスに乗る。昨日あらかじめ町であったネパーリーに聞いておいたスポーツショップに向かい速攻で発見。ユニもホームとアウエー、長袖、半袖、サイズも各種揃っていた。完璧。試着を重ね、僕らはアウエーの紺色、長袖を購入することにした。アディダスのロゴ入りで300ルピー。約480円。100%偽者だけど大満足。試合に向けてモチベーションも溢れんばかり。その場で着させてもらい店を出る。その後町でインターネットをしているとあっという間に時間が過ぎて集合時間間近。急いでバスを捕まえてホテル帰る。あわてて用意して集合場所に向かうと、時間ぎりぎりというか少し過ぎてるはずなのに集まっている人数が少ない。少し心配になりスモウに「今日試合はあるの?」と聞いてみると「今日は人が集まらないから出来ないよ。」スモウはと僕らの盛り上がりも知らない様子であっさり答える。「そうか。残念だ。」と答えるが期待が大きかった分だけショックもかなりのもので一気にモチベーションも低下。そのままその場に立ち尽くしているとスモウがどこかに消え、いつもの糞グラウンドでは何人かがもうボールを蹴っている。しょうがなく今日も糞グラウンドかとしょげているとスモウが戻ってきて「ビッググラウンドだ!!」と言い出した。どうやら人数を集めくれたみたいだ。相手チームは来ないが自分たちの仲間とあと少し人を連れてきてくれたみたいだった。それを聞いた僕らのモチベーションは一気に回復、一目散にビックグラウンドに向かう。
グランドに一番乗りしてボールを蹴っていると続々と人が集まって来た。グランドは雑草だらけで、原っぱに木で作った四角い枠だけのゴール。もともとグランドには期待していなかったので、特に問題なし。でかいグランドで大人数でできる喜びのほうが大きい。
チームはスモウたちがチーム割をして僕と祥栄はスモウと同じチーム。よくよくチームを見渡してみると僕らのチームにはなかなかできるやつが多い。相手はあまり印象にないやつや初めて見るやつらが主だった。これじゃあ余裕で勝ってしまうんじゃないか、と妙なチーム割を気にしていたんだけど試合が始まってみるとこのチーム割に納得せざる得なかった。僕らのチームの面子はボールを扱うのはなかなかできるのが多いから小さいグランドの時にはめだつ人が多いけどよくみるといい年のおじさんが多く、でかいグランドになるとてんで動けなかったりする。その点相手チームは若い子が多く走れる輩が多い。僕と祥栄はFWのような感じで前線に残っていることが多かったけど、なかなかボールが来ない。明らかに押されっぱなしで相手チームはボール対する反応も早いし、ほんとによく動く。ネパールに来てサッカーというものは走れないことにはどうしようもないと改めて気づかされることになるとは。。。 時間がないのでさらにつづく。
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# by kazuki-ishihara | 2005-09-18 11:05 | ネパール
決戦前夜
チベット編を少し後回しにして、今日はリアルタイムのネパール編を書きます。
ちょうど1週間前、首都カトマンドゥからバスで7時間、中央ネパールの観光地ポカラにやってきた。ペワ湖という大きな湖沿いにツーリスト向けのホテルからレストランが並び、湖の反対側にはヒマラヤが頭を出している。カトマンドゥよりはるかに静かで落ち着いて過ごせるリゾート地。
ポカラにはカトマンドゥで偶然の再会をした祥栄と一緒に来たんだけど、彼とはこれが三度目の再会(べトナムのフエ ラオスのルアンナムター そしてネパール)。カトマンドゥであったときはお互いめちゃくちゃ驚いた。
滞在二日目の朝ホテル(二人で160ルピー。約260円。安すぎ。でもすごくきれい。トイレ、シャワー付き)の近くで飯を食っていると祥栄がいきなりキックの素振りをしだした。実は彼も大学生で大のサッカー好き。年は僕の1つ下なんだけど二人でいるときはよく高校時代や大学のサッカー部の話など、サッカートークに花を咲かしている。しかも彼は服装もゲームシャツに短パン。しかも毎日。中国旅行中は何を勘違いされたのかよく写真を撮らせてほしいと地元民にお願いされたらしい。
祥栄の素振りを見た店の親父が「サッカーやるのか?」と聞いてきたので「もちろん。」と答えると夕方友達がサッカーをやっているところに連れて行ってくれるという。僕達は大喜びで約束の時間に用意を持って出かけた。店の親父が連れて行ってくれたところはその店の裏の小さな空き地。まだ誰もいなかった。「なんだよ。こんなとこに連れてこられて俺達も安く見られたもんだよな。」と二人で文句を垂れていると、人がぞろぞろ集まってくる。大人から子供まで様々。そこで彼らが毎日やっているのは4対4のミニゲーム。1点入ったら終了の勝ち残り。とりあえず「俺は中田の腹違いの弟だ」言って相手をびびらせてやった。しかもあっさり信じている。いざプレーしてみると下がぼこぼこでコントロールがなかなかうまくいかない。ところどころ生えている雑草で滑ってこける。ネパーリの中にもなかなかやるやつがいて、こっちもだんだん本気モード。
その日は勝ったり負けたりで1時間半くらいで日も落ちたので終了。みんな家に帰っていった。
思った以上に楽しんでいた。
その次の日もその糞グラウンドに通う。その日はさらに人も集まり、かなり盛り上がった。だんだんグランドにもな馴れてそれなりのプレーもできるようになってきた。それからは毎日グランド通い。昼間にどこか出かけに行ってもみんなが集まる5時半には必ずグランドに向かっている。
「俺らはローカルじゃない。いつ首を切られるかもしれない。いきなり明日から来なくていいとといわれるかもしれないだ。下手なプレーはみせられないぜ。」と毎日必死にプレーする健気な僕らの活躍が認められてか、彼らも外国人助っ人獲得に熱心になり始めた。近くを歩いている西洋人に声掛けて熱心に一緒にやらないかと誘っている。自称トッティーの友達のローマ人はおっさんのくせにさすがファンタジスタの国からやってきただけあってテクい。オランダ人の激しいプレーにはてこずらされた。このままでは外国人登録枠からもれてしまう。しかしグランドに毎日顔を出す外国人は僕らだけだった。勝った。そんな僕らに最大のチャンスが!!その週の日曜日にデブで皆からスモウと呼ばれているやつが違うチームをつれてくるらしい。しかも大きな公園でのビッグゲーム。しかもなにやらチキンを賭けるらしい。勝てばチキンパーティーと皆も盛り上がる。俺らは思っても見ない大舞台に大興奮。次の日に日程の関係上ポカラを発たなければいけない祥栄も悩んだ結果バスをキャンセル。男の決断だ。そしてその大一番がとうとう明日夕方キックオフ。高鳴る鼓動を抑えつつ、明日を待つ。
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# by kazuki-ishihara | 2005-09-17 20:59 | ネパール
チベットBY闇バス
長時間の電車移動を終え朝10時ごろにゴルムー駅に着き、ガイドブックに書いてある安宿目指して歩き始めた。この日はゴルムーで一泊して、明日チベットの聖都ラサを目指すつもりだった。歩き始めてすぐ「ラサ、ラサ」と一人の男が近づいてきた。どうやらラサ行きのバスの客引きのようだ。僕はその男について行くことにした。まず値段交渉をして、高ければ予定通りここで一泊してまた違うバスを探せばいいし。
実はチベット自治区に行くためには、パーミット(入境許可書)というものが必要になる。これは単体では習得できなくてチベットに行くにはツアーのようなものを組まなければいけない。そのため外国人は地元民が利用するローカルバスには乗れないようになっている。
ツアーを組む場合多くの人が利用する成都からの空路なら安くて1,900元(約28000円)くらい。ちなみにツアーといっても片道ラサまでの移動費(1時間ほど)とパーミット代でこの値段。ゴルムーから陸路のツアーもあるようだが1500元くらいはすると思う。
高すぎる。ローカルのバスだとゴルムーから一人300元ほどでラサまで行くことが出来るのにもかかわわらず、外国人はこの多額の費用を払わなければチベットに行けないようになっている。外国人から多くの金を落とさせようとする中国政府の悪どいやり方だ。そこで旅行者の中には(特に日本人)は中国人になりすましてバスに乗り込んだり、何人かでタクシーをチャーターしてラサを目指す人が多い。チベット自治区に入る手前、いくつか不法入境者をチェックする検問所があるらしいが、ここで外国人として見つかるとまたバスごとゴルムーまで戻らなければいけない決まりのようだが、実際賄賂を数百元払えばすんなり通してくれるらしい。僕ももちろんそんな高い金払いたくないしそのローカルバス(通称、闇バス)にでチベット入りするつもりでここに来たというわけ。
 客引きのおっちゃんははじめ「1000元だ!!!」とかなり吹っかけてきが、粘り強く交渉した結果500元まで落ちたのでその値段で乗ることにした。 300元と言うのは地元民価格でなかなか外国人をみなと同じ値段では乗せてくれない。運転手たちも外国人を乗せているのを公安(警察)に見つかると面倒なので、見つからないように色々工夫するらしい。その手間賃が上乗せされると言うわけ(と思う)。バス側としてもいい商売だ。聞いた話では500~700元が相場のようなので、かなりいい線いっている。
 すぐにはバスが出ると言っておきながらバスの乗客をいっぱいにするため結局昼の1時ごろまで待たされて、やっと出発。バスの中にには僕のほかにアメリカ人の男が一人。こいつはどうやって検問をすり抜けるつもりだろう少々疑問に思ったが、まあなんとかなるのだろう。足手まといだけはやめてほしい。
 バスが出て30分位したところで、バスを路肩に止め、運転手のチベタンのおっちゃんが僕らのところにやって来た。彼は「もうすぐ検問があるから隠れろ」と言って寝台バスの床板を抜き始めた。なんと床板の下に人がぎりぎり潜りこめる位の狭い空間があった。床の上にはカーペットのようなものを引いていたのでこれじゃあ気づきようがない。僕ら外国人二人は床下に毛布を敷き潜り込んだ。床下は暑いし空気も埃っぽい。居心地は当たり前だが悪い。僕の足の後方にアメリカ人のがいるので、彼は僕の足の臭さもあわせてさらにつらいことだろうと思う。バスが止まり上から聞こえる足音で検問所に着いたことを察した。どのように公安が乗客を調べるか知らないが、隠れるときおっちゃんがせかすもんだから僕は上に荷物を置きっぱなしにしてきてしまったのでそれでばれないか心配になった。バスがまた走り出した。なんとか一つ目の検問は無事通過のようだ。まだ1,2個検問があるらしいからあとどれくらいこの中にいるのだろうと少し不安に思っていたのだけど、いつのまにか寝てしまっていた。
 運転手のおっちゃんに起こされて、床下から脱出する。寝ていたので体中は汗まみれで埃まみれ。おっちゃんは無事に検問を通過できたのでかなり嬉しそうだった。僕らに笑顔で「サンキュー、サンキュ-」と何度もいってきた。僕も無事通過できてほっとしていたが、おっちゃんの笑顔を見てさらに嬉しく思った。僕たちは握手を交わした。窓の外を見ると景色がまったく違っていた。大きく広がる青空に、回りはごつごつした木が生えていない山。その山々の間を一本アスファルトの道が通っている。今までに見たことの無い景色を見てとうとうチベットに来たんだという実感がわいてくる。バスはひたすら走り続ける。遠くには頭が雪に覆われた山も見える。
そんな景色への感動も疲れで長く続かなかったので、とりあえず寝ることにした。しかしなかなか深く眠れない。寝に入ってもすぐ起きてしまう。そのうち道も未舗装道路になって揺れが激しくよけい眠れない。しかもありえないくらい揺れる。日が暮れて(ここは遠く離れた北京時間を使わなくてはいけないから日が暮れるのは9時くらい)やっと眠りにつくことができた。それでも激しい揺れに何度も起こされる。しかもなんか寒いと思ったら窓が壊れていてバスが揺れるたびに少しずつ開いていくので、そこから入ってくる隙間風が冷たい。もちろんこの道もへいきん4000mくらいの高さを走ってるから外の気温はかなり低い思う。幸い寝台バスは僕の席はぎゅうぎゅう詰だったから毛布と隣のおじさんの体温でかなり暖かかった。
途中5000m越えの峠を越えたあたりで少し吐き気と頭痛。夏にスェーデン走った後並みの吐き気。今まで高山病と無縁だった僕の体もこの強行移動にかなりまいってるらしい。チベット入境早くも後悔。1時間くらいの死闘のすえ高山病にも打ち勝ったがそれでほとんどの体力を消耗し 残りのラサまでの時間も終始グロッキー状態。15時間くらいと聞いていたがまったく着く気配がない。いくつか町を通り過ぎ、その度にラサ到着の期待は裏切られ。メンタルはボロボロ。結局翌日朝の10時ころに聖都ラサ到着。20時間のバス旅だった。雨季で道が悪く時間もかかったみたいだ。始めて見る聖都ラサは思ったより大都会。もちろん前から聞いてはいたけど。まあとりあえず無事ラサ到着できたことによしとする。
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# by kazuki-ishihara | 2005-08-14 11:58 | 中国~チベット
別れ、一人電車の中で
ナタリー、チャリーが上海に発つのを見送り、一人電車に乗り込み格尔木(ゴルムー)に向かう。成都からチベットへの入り口となる青海省のゴルムーまでは3日と聞かされただけだ。何時間か聞いたところで心境的にはそんなに変わらないだろう。中国に来てはじめての電車移動。しかも初めての一人での移動。もちろん不安はある。な何せいままでは中国語堪能なナタリーのおかげで、英語の分かる人が少ない中国で(一般人レベルで話せるのは外国人がよく利用するホテルの従業員か英語を勉強している大学生くらい。僕はそんな感じを受けた。)ほとんど言葉の壁には苦労していない。そのナタリーにおんぶにだっこだった僕とチャリーは全くと言っていいほど中国語を話せるようになっていない。数字と簡単な文法(2つだけ)、数えられる程度の単語(5個くらい)。1ヵ月半もいたのにこの有様。さすがにこれでは中国の旅はきついことは予想がつく。いまさら後悔しても遅いので、英語の勉強に熱心だった僕は中国語を勉強する暇が無かったということにしたい。
 僕の席は三段寝台ベットの一番上。一番下が値段が高く、一番上が一番安い。出発時間間際に列車に乗り込んだので、すでに荷物置き場はいっぱい。どこに荷物を置こうか迷っていた僕を見て、若く僕より少し年上に見える中国人男性二人が荷物を置くところを探し、人の荷物の上ではあるが置き場所を見つけてくれた。中国語でなにやら話しかけてはくるが、まったく理解できない。かろうじて「どこに行くんだ。」という質問は理解でき、「ゴルムー」と答える。彼らにはご飯を貰ったりいろいろと親切にしてもらったが、何せ会話が出来ないのでほとんどの時間は本を読んだりボーとナタリー、チャーリーと旅した中国の日々を思い出していた。
 思えばラオスで出会ってからこの日まで1ヵ月半以上も共に旅したことになる。僕は一人チベットに向かう。彼らは上海に。初めからわかっていたことだけどさすが別れは辛い。この旅一番の辛い別れだった。別れ際、この後のお互いの旅の健康を祈るような言葉を交わし抱き合った。普段は強気で弱いところをあまり見せず、別れ間近になっても寂しそうなそぶりを見せなかったナタリーが目いっぱいの涙をためていた。それを見て僕も涙があふれそうになったが、自然に我慢していた。二人を見送った後、自然涙がこぼれた。
 お互い観光地をがんがん回るようなタイプではなかったので、街を軽く歩いたあり宿でのんびりするしたりすることがほとんどだった気がするけど、退屈することは無かった。沢山話もした。彼らは僕の知らないことを沢山知っていたし、僕も日本の話や、話題に対する自分の意見なんかを辞書引きながら一生懸命話した。初めの頃はどんなだったか忘れてしまったけど、二人とも(特ににナタリーは)僕がわからない単語は丁寧に辞書を引いて教えてくれたので、別れ間際にはコミニケーションもある程度スムーズに取れるようになった。些細な口げんかが出来るくらいにはなった。(これはしゃべれるしゃべれないの問題じゃないか。)
 それにみんな食べることが好きだったので、いろんな料理も食べにいった。ナタリーはベジタリアンなので、中国料理を食べるときは僕らも野菜だけのものを食べたのだけど、(中国はみんなでおかずを分け合って食べるのが普通)二人と一緒に食事するまではこんなに野菜が美味いとは知らなかった。っていうか忘れていたのか。それからはバスの移動のときはフルーツや野菜を買い込んで、バスの中で三人むしゃむしゃ生野菜を食べたりしていた。大理で山でカンフーを習っていたときは、腹が減っては野菜をぼりぼり食べていた。それにインド料理や日本料理、テキサス料理など今までは安いものばかり食べてたから(もちろん安くて美味いものはいっぱいある)、今まで食べたこと無いものを沢山食べれて新しい食の発見も沢山あった。
 今考えると、二人と過ごした1月半は長いようでよく考えれば短いものだ。しかしいつの間にかずっと前から一緒に旅しているように感じていた。そんなふうに自然に感じられる相手にめぐり合うのはそう多くあることではないと思う。いい出会いをしたものだと思う。二人にはまた会いたいし、長くいい関係を続けていきたい。
 二夜を車内で過ごし三日目の朝に成都で買っておいたきゅうりとトマトをこれまた成都で運良く見つけたキューピーマヨネーズをつけながら食べていると、おばちゃんが珍しそうにこちらを見ている。長時間の列車移動では中国人の間ではカップラーメン持参が普通だ。この電車の中で、生野菜をぼりぼりかじっているのは僕ぐらいだろう。
朝飯を食べ終わり、本を読んでいると、周りがざわつき始めた。とうとう憧れのチベットの入り口となるゴルムーに来た。 成都から51時間の長旅だった。

 
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# by kazuki-ishihara | 2005-08-12 22:30 | 中国~チベット
チベタン
リタンでは毎日ホースフェスティバルの会場に足を運んだ。雨が降る日も多かったく、祭り自体を見物したにのは初日ぐらいのものだが、会場となっている草原をぶらつけば色とりどりに着飾ったチベタンが見れたし、いい出会いも沢山あった。
 シャングリラでチベット族による評馬会(ホースフェスティバル)が近々行われると聞いて、それはぜひ見たいとチベット族が多く暮らしているここリタンの町にやってきた。祭りの時期ということでこの小さな町にも多くの旅行者が訪れ、町にある数少ないホテルは満室のところが多く宿探しも一苦労だった。しかもフェスティバル価格で宿代も高い。僕ら三人とチャリーが大理のバーでバイトしていたときのバイト仲間のスタンとパッド五人で四人部屋に泊まる事にしてさらに4日分の部屋代を前払いすることで、やっと今までの町と同じくらいの宿泊費で泊まることが出来た。
 フェスティバル初日の朝、会場となる草原に向かうとすでに祭り用に着飾った大勢のチベタンと旅行者の姿。さらに草原全体に沢山のテントが建てられている。この祭りの時期だけは町に住んでいるチベタンもこの草原でテント暮らしをするようだ。開会式のようなものが初めに行われ、少し時間をおいてから競馬が始まった。競馬といっても、競争するという感じではなく自分の腕をみんなに披露するという趣向のようなもので、頭を地面すれすれにまで体を傾けながら馬を走らせたり、猟銃を的にめがけて撃ったりというようなものが多かった。チベタンの男は髪が皆長く、馬に乗るその姿は本当に勇ましくかっこよかった。それが終わると、チベタンの踊りがあったりというような流れで午前は終了。午後も同じように競馬と踊りで終了した。
 その日競馬を人ごみにまみれて見ているとき僕らは一人の女の子に出会った。どういうきっかけで話したかは忘れてしまたが、ナタリーはその子と少し言葉を交わしてその女の子の写真を撮った。その子はその写真が欲しいといったが、僕らはその町にデジカメを現像できるところがあるか分からなかったので、その場は「出来るかもしれないし、出来ないかもしれない」とあいまいな返事をして、僕らは分かれた。その後その草原にカメラ屋が出店しているのを知り(すごいいいサービスだと僕らは感動した)、僕らはもしまた女の子と逢えればここに連れてこようという話しをした。その数日後運良く女の子見つけることが出来たので、女の子と一緒にいたお母さんをカメラに連れて行き写真をプレゼントすると、二人は僕らを自分達が住んでいるテントに招きいれてくれ、チベタンのお茶「バター茶」をご馳走してくれた。ヤクという牛のようなヤギのような動物の乳から作るバターと、塩とお茶葉で作るお茶は高山病にいいらしい。しかしお茶がしょっぱいのは受け入れがたく正直あまりおいしくなかった。部屋には家族のほかに親戚達も入ってきてお互いの国での生活のことなどを話した。チベタンも今は中国語を話せる人が多く(必ず覚えないといけないらしい)、ナタリーを通してコミニケーションも簡単に取れることが出来た。チベット族のように漢民族以外の人たちは子供は何人作ってもよく、この家族も子供は2人。親戚の子供も遊びに来るので、家族はいつもにぎやかだった。僕らは彼らのテント野中にインドに亡命中のダライラマ14世の写真が飾られているのを見とつけた。中国ではダライラマ14世を信仰すること、写真を持つことすら禁止されているが、彼らのダライラマ14世に対する信仰は厚く、中国政府なんか怖くないと語っていた。
 僕らは前からこの草原でチベタンの人たちと同じようにキャンピングをしたいと思っていたので、次の日からこの家族のテントの隣に僕らもチャーリーが持ってきているテントを張って生活することにした。「ご飯が無いときはいつでもおいで」と言ってくれたり、みんな本当に親切にしてくれ、遠慮なくその日の夜ははご飯をご馳走になった。いつも食堂で食べるのと違って、ひさしぶりb食べた家庭の味はすごくおいしかった。
 その日テントで一泊したわけだけど、4000mの高地ともなれば夏とはいえ朝夜はかなり冷え、さらに雨も降っていたので凍える夜を過ごすことになった。この気候に慣れていない僕らはあまりの寒さに結局1泊できず次の日にはテントをたたんでまたホテルに戻ることにした。さらにその次の日にはVISAの残り時間もあまり無いことからその町を出ることにしたので、この家族との付き合いもほんの少しの時間でしかなかったが、みんなの優しさや笑顔に触れとても幸せな気持ちにしてもらった。この家族以外のチベタンも町を歩いていると「ハロー」と笑顔で声をかけてくれる人が多く、フレンドリーで笑顔の素敵な人が多かった。この町での出会いがチベットへの行くことをさらに楽しみにしてくれた。
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# by kazuki-ishihara | 2005-08-06 21:19 | 中国~チベット
観光地開発進行中
 2週間強滞在していた(ここでカンフ-習っってた)大理を立ちそこから麗江(リージャン)そして香格里拉(シャングリラ)と北上してきた。ここは雲南省の北西にある町で標高3000mを超えるの高地にある。そのおかげで夏でも半そででは肌寒いし、今までより幾分空が近く見える。
 大理、麗江ともに古い歴史を持つ町で新市街、古城と分かれているが、この古城ほうが古い町並が今も残っていて今では多くの旅行者が訪れる観光スポットになっている。泊まれるところも多くあって、中国の夏休みにあたるこの時期は中国人の観光客が異常に多い(と思う)。というかほんとに多い。メインロードは毎日人であふれ、夜になると昔の家を改築したバーやレストランは多くの旅行客でにぎわっている。昔ながらの風情あふれる町並みというよりは、観光客のための町という印象。
 大理に比べ麗江はさらにすごい人でここは特にすることも無かったから(まわりの山など景色は綺麗なんだけど)2日しか滞在しなかった。
 ここまで中国人の観光客が多いのにはだいぶ驚いた。昼間観光名所の前で我先にと記念写真を撮りまくってる人や夜バーで酔っ払って騒いでいる中国人団体客を見ると少しおかしく思ったけど、日本もバブル真っ盛りの時はこんなかんじだったんかな?とふとそう思ったらあんまり笑えなかった。
 そしてここ香格里拉も4年前くらいまでは中旬って地名だったのが「失われた世界」っていう映画化された小説のもモデルがこの町だということらしく名前も変え、近年道路の整備など観光地化に努めているようだ。昔はほんとに何もない田舎町だったらしいが、今では昔に比べかなり大きな町になったらしい。
最近では中国の田舎町もかなり道路の整備や新しい建物が建てられていて、一人の旅行者としては昔ながらの味わいある街や景色が減っていくのは残念に思うが、そこに暮らす人達ははどのように感じているのだろうか。きっと賛否両論だろうが、暮らしが便利になるのをうれしく思う人たちがほとんどなのかもしれない。

 
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# by kazuki-ishihara | 2005-07-30 01:13 | 中国~チベット
中国!!
ラオスから国境を越え中国に入ってかれこれ3週間近く。主に通ってきたルートはラオスとの国境に接している雲南省のモンラ→ガンランパ→(漢字忘れた)→景洪→昆明→大理。
半月以上も更新していなかったこの日記も今日ラオスで一番の思い出の街であるルアンパパーン編の続きを書いていたところ、後ちょっとで書き終わりというところでなぜかパソコンがバグって2時間近く費やした文が消えてしまった。今日のところはもう書く気がしないのでまた後日書くことにします。
ここ雲南省は少数民族も多く住んでいたり、観光地を離れると中国の田舎町で田園風景が広がっていて眺めもいいし、気候も日本の春のようで過ごしやすいところ。ラオス最後に訪れたムアンシンから一緒のオーストラリア人姉弟とツーリストが行かないような何もないところだけど、でもそのままの町の人に生活を見ることが出来る町を訪ねて行きそこでホテルがないのでホームステイさせてもらったりと今までとはまた違ったスタイルで中国を楽しんでいます。ここ中国は歴史が古いだけあって町の人の生活はあってなかなか興味深いものがあるし、とにかくご飯が安くて多くて美味い。食にに関しては中国かなりやります。しかしトイレはかなり汚い。言葉では言いあらわすのは難しいし、日本で暮らしている人には決して想像出来ない次元です。しかも有料。こればかりは理解不能です。
今のところの中国編はとこんな感じです。ではまためげずに書きます。
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# by kazuki-ishihara | 2005-07-16 19:05 | 中国~チベット
ルアンパパーン
ラオスに来て、15日が過ぎた。サワナケートから首都ビエンチャン、そしてワンウィエン。何もないところがラオスの良さと聞いていたが、そのとおり首都ビエンチャンでさえ都会的建物は何もない。高いビルもなけれ電車も通ってない。それがベトナムから来た自分には活気がなく、さびしい町に映った。ワンウィエンは山並の景色が凄くきれいで、中国の仙人が住んでいそうな山を見ながら、トラックのタイヤのチューブにのっかって川を下ったり、川で泳いだり、それまでに比べた楽しい日々を過ごせたが、それでもいい話ばかり聞いていたせいか何か物足りない感じがずっと消えなかった。
つづく
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# by kazuki-ishihara | 2005-06-20 16:12 | ラオス
ラオスへ
ニャチャンからホイアン、フエと来た。ホイアンは世界遺産の町であるし、古都フエも見所はいくつかあったが、ニャチャンでの生活が抜けきらず特に観光もすることなく毎日町をぶらついて、飯食って、地元民とサッカーしたり、海行ったりして過ごしていると、あっというまに時間が過ぎ、ビザなしで滞在できる二週間も今日で最後の日となった。ベトナムのフエから旅行会社のバスでラオスのサワナケートにまで行くことにした。朝の6時に宿の前で待っていると、バスが迎えに来て、ツアーバスに乗り込んだ。DMZツアーといってベトナム戦争時の南北の国境をまわるツアーのバスに乗ってラオスとの国境付近まで行くようだった。一時間ほど走った後の休憩所でラオス行きの自分含めた3人だけ乗り換えのため荷物を下ろされた。そこから歩いて3分ほどの歩き、着いた先で乗れと指示さえたのハイエースぐらいの大きさのワゴン車。国境行きの人を集め、国境とここのターミナルを往復する乗り合いタクシーだった。これにはおどろいた。昨日チケットを買うとき、いろんな会社を回り一番高値のところとは5ドル差がある一番底値のところで買うことにしたのだけど、もちろんどんなバスか訪ねたし「エアコン付のビックバスか?」と聞いたら「オフコース!国境までもラオスに入ってからも同じエアコン付ビックバスだ。心配するな。」と言われ、一度飯を食いに行ったレストランおっさんで顔見知りだったのもあり、信用したんだけど。
とりあえずそこからは狭く熱い車内で中で二時間。国境からは案の定ローカルバスに乗ることになっていて、バスに乗り込むと車内の半分は食料などの荷物でがたくさん敷き詰められていて、韓国製の中古バスのようでかなり古びている。そのバスに乗ること3、4時間ほど道はきれいに舗装されていたが、バスは揺れるし椅子は壊れていてずれ落ちるし。

ベトナム最後にしてやられたなあという感じだった。あまり安いもんだから心配はしてたけど。
ベトナムはすごくいい印象だっただけに(飯がうまいのが一番)、かなり残念だった。
まあでもローカルバスとはいいもんで、生活感が出てるし、わりと気軽に話しかけてくる人も多い。
タイのバンコクからカンボジア国境近くのアランやプラテートまでの列車の長旅のときもバンコクに出稼ぎしにいって田舎に帰る人たちが話かけてきてくれて、長時間硬い椅子でしんどいはずがとても楽しい時間になったことがあった。
今回はほとんど寝てたけど、隣に座ったおばちゃんにタニシやら果物やら食わせてくれた。でもこのおばちゃん腹いっぱいって伝えてるのにそんなのお構いなしにの食え食え攻撃はかなりありがた迷惑。

そんなこんなでかなり疲労困憊でタイ国境近くのラオス第二の都市らしいサワナケートに到着。
ここからは会ったツーリスト皆が、「自然がたくさんあり、人がすごくいい」と絶賛していたラオスなだけにかなり楽しみだ。
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# by kazuki-ishihara | 2005-06-05 18:01 | ベトナム
ニャチャンの誘惑
寄るつもりなかったニャチャンに二泊した。このおかげでビザ無しで滞在できる2週間も残り6日となってしまい、今までよりあわただしくベトナムを移動しないといけなくなりそうだ。
きれいな海とビーチがあるニャチャンは思ったより居心地よかった。昼間は海行ったり本読んで、夜は民宿「御父参」で会ったみんなと飯食って、ビール飲んで。ただぐーたらしてるだけだけど。、このリズムがなんとも気楽で心地いい。あと町も小さく、人の多さも程よい。
ここで出会った人達はみんな長期旅行者で旅の情報なんかもいろいろ教えてもらった。自転車で旅する「チャリダー」の人にも初めて会った。日本いたら出会わなかった人達と、日本じゃしない話をする。三日間だけの滞在だったが。すごく濃い日々だった気がする。
一泊のつもりが二泊、まだもう少しいたいところを今日ホイアンに移動を決意した。長くいれればいるほど、移動のエネルギーを吸い取られそうだ。
ここのオーナーのお父さんはもちろん日本人で、昔ベトナム、中国、韓国、そんで日本をシクロで旅して貯めた資金でここのホテル建てたすごい人。そんなハードなことやったとは思えないようなシャイな感じのおとうさん。ここでは日本食やベトナム産日本酒も飲める。やっぱり日本人と飲む酒が一番うまかった。
もし旅の終わりに来てたら、長く居着いてしまったかもしれないと思いつつ、世界遺産の町ホイアンへ。
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# by kazuki-ishihara | 2005-05-30 17:33 | ベトナム